慶応 武山ゼミ主催のARG「ぼくらのシモキタストーリー」に参加してきた。
先生とはかなり昔からお世話になっていて、さらにはARGやエリアワンセグなど興味のある分野も近いことから、話を聞いてすぐに参加を申し込んだ。
かなりの応募状況だったらしく抽選に漏れた人も多いようだが運良く当選。
あんまりネタバレみたいなことを書くのもなんなので、とりあえず感想的なものを。
一番強く感じたのは、「参加者の積極性」。
なんとなくダークナイトとかの成功事例を見ていると、「うわーすげー、盛り上がってるなー」と感じてしまうが、実際にどれだけ人が熱狂しているかは分からない。
少なくともバットマンみたいな内容の場合であれば、熱狂しやすい土台ができているので、あれはあれで本当にイベントごとにものすごい盛り上がりを見せたのだろうが、参加者自らが“波に乗ってあげる”積極性、もしくはサービス精神みたいなものを併せ持っていないと、物語の進み具合にはずみが付きにくいということを感じた。
参加型イベントなのだから当たり前っちゃー当たり前だし、今回は「ARGやりますよー」といって集めているので、多少無理があるのだが、参加者がポイントごとにどれだけ発言できるか、積極的に前へ進めようと努力するか、客観的にとらえずにいられるか、という部分を絶えず自分に課せながら進める必要が、今回の企画にはあった。
(決してストーリーが面白くなかった、といってるのではありませんよ。念のため)
参加者の中にも、ちょっと萱の外的な感じになっちゃってる人はチラホラみかけたし、それはしょうがないのだろう。
最後の局面では走って追いかけるようなシーンもあったのだが、俺自身「ここはやっぱ走っとくかー」と自分に言い聞かせながら走ったのを覚えている。
(決してストーリーが面白くなかった、といってるのではありませんよ。念のため)
ただ、より本格的なARGを作り上げる場合、参加者にそんなことを課すことを強要せずに、そういった雰囲気を作りあげるような没入感を生み出す必要があることは言うまでもないだろう。
そのためには、もしかしたらもっと前からストーリーを体感することができるような仕掛けが必要だったのかもしれない。
別にリアルタイムに追っておく必要はないが、ググればいろいろ出てくるとか、事前情報としてのインプットが多ければ多いほど、個人個人での解釈も増えていき、参加者の没入感も高まっていくだろう。
そういう意味でもストーリーの作り込み、そして参加者側の心の準備のさせかた、は重要だと感じた。
参加者の人たちとは盛り上がって、終わった後もファミレスでしゃべってたのだが、いろいろ話しながら思ったのは、広告代理店でこれをやるのはまだまだ難しいだろうなーと。
実際にゲーム会社に出向していて、広告代理店のプランナーとゲームのプランナーとの違いみたいなものは感じたし、常にクライアントの意向に沿った形でどれだけの人にリーチできるのか/体験してもらえるのかを考えることを求められながら、“気を使う”企画力を求められる広告会社のプランナーは、消費者インサイトなどとは言ってもメディアや場をどう使うかにたけているという場合がほとんど。
対してこの手のプランニングに必要なのは、おそらく個人をどれだけ没入させるかという深さを追っていくような感覚で、おそらくそれはプランナー自身の没入感も求められる。
さらに単発キャンペーンやキャンペーンがいくつか繋がってるような話ではなく、完全な物語として作り上げていく必要がある。
結果として多くの人を巻き込むような企画であっても、根っこにあるのは一人の人を虜にし、そしてそこからある種のプロシューマー的な積極性を生み出していくような設定が最も重要なのだろう。
とはいってもARGが広告コミュニケーション上の手法として「これぞ旬!正解!の手法」というわけではないので、こういう企画を作れる必要があるのかは分からないが、人を巻き込んでいく「サービス」を作るという上では身につけたい能力だと感じた。
また、「サービス」として参加者が没入することに注力させる上でも、スポンサーは後まわしくらいの思いきりのよさも必要なのではないかとも感じた。
なにはともあれ、またやりたいし、自分も何らかの形で作り手の方に関わっていきたいなあと思ったしだい。
1 件のコメント:
武山研究会ARG班の勝田と申します。
当日は祐介役でした。
このエントリで指摘していただいた箇所、
特に
>参加者にそんなことを課すことを強要せずに、そういった雰囲気を作りあげるような没入感を生み出す必要があることは言うまでもないだろう。
の部分は、体験中も終わった後も、真っ先に課題として出てきたところであります。
今回のARGでは、代替現実感にこだわり、よりプレイヤーを没入させたいという思いがあったのですが、まだまだだったなと自分自身も痛感しています。
しかし一方で、街を舞台にする以上、代替現実感を徹底することに限界もやや感じました。
というのは、街全体からの協力を得ることがないと徹底することはできないからです。
もっともっと天狗に関する世界観を演出したかったのですが、そのためにはお店の理解と協力が不可欠です。
その意味で、今回の私たちは力不足だったと思っています。
>そのためには、もしかしたらもっと前からストーリーを体感することができるような仕掛けが必要だったのかもしれない。
この発想、あまりなかったので、参考にさせていただきたいと思います。
当日参加してくださったこと、こうしてエントリーを書いてくださったこと、ありがとうございました。
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