2008年10月19日日曜日

Blog Action Day2008で貧困問題について考える

Blog Action Day 2008というイベントに参加した。

テーマは貧困問題。
Volvicの1liter for 10literキャンペーンやNPO世界銀行の取り組みなど、様々な企業/団体の活動が紹介された。

自分がアメリカに住んでいた時に通っていた中学校は、ちょうどリッチな人が多く暮らす地区とそうでない人が暮らす地区の間にあり、学校には毎週100ドルのお小遣いをもらって新品のスニーカーを何足も持っている友達もいれば、毎月25ドルの給食チケットを払うことができず、学校から特別に免除してもらっている家の友人もいた。
どちらかというとアジア系の友達が多かったので、中には自国の貧困問題や内戦などから逃げるためにアメリカに渡ってきたやつもいたりで、子供なりにそれぞれの家系や生活、国の状況の違いをなんとなく肌で感じることができた。
当時の生活の中でそういったことをリアルに感じることができたのは、あの国が様々な人種で成り立っているからであり、お互いのバックグラウンドがそれぞれ強く出ていたからだと思う。

それに比べて日本でこうしたリアルさが感じられないのはなぜだろう?
日本はそういう問題がないという人もいるが、それは違うと思う。
日本にも同様の状況はあるし、金持ちが住むエリアがあれば、日雇いの人が暮らすエリアだってたくさんある。
同じ日本人という人種だと、そういった違いをリアルに感じ取りにくいのだろうか?
日本人はみんな平均以上と思っているのだろうか?
日本人は日陰の方を見て見ぬ振りをする傾向が強いのだろうか?

もちろんアフリカなど第三国が抱える貧困問題の深刻さとは比べ物にならないが、プレゼンテーションの中での会場の雰囲気や司会者の「貧困問題といわれてもいまいち実感が湧かないですよね〜」といった態度、その一方でゲストスピーカーの玄秀盛が今の日本に対して最後に言った「心の貧困問題」という言葉を聞きながら、より身近な貧困問題でさえ顕在化しきれていない現状について考えていると、自分の中では妙に歯痒さや痛々しさが残るイベントだった。

1 件のコメント:

kikuiken さんのコメント...

貧困は原始共産主義が始まった瞬間の国以外の全ての国にあります。でもそのシリアスさは国によって違うよね。
自らのシリアスでない貧困をことさら大声でふれまわる人も、日本には大勢いるので、結果的に争点がずれてしまうんじゃないかなぁ。